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『想いの重さ』道新みなみ風コラムNo.2

(北海道新聞 夕刊みなみ風 リレーエッセイ「立待岬」2017年6月30日掲載)

『想い(おもい)の重さ』

 この春、函館を愛した詩人石川啄木の手紙や日記の原文による音楽劇を、和太鼓、フルート、芝居の構成で企画した。奏者5人に役者1人。音量随一の楽器と共演する役者側の発声の負担を減らそうと、稽古初日、マイクなどの音響機材を会場に並べ、啄木役の女性を迎えた。

 けれど彼女は台本を握り、言った。「生の声でもいいですか」。瞳が何かを訴えていた。小学生のころの記憶が、ふとよみがえった。  私は昔から大きな声が出なかった。父母参観を兼ねた行事で、自作の紙芝居を発表した時のこと。途中から先生がメガホンを出し、口元に当ててくれた。でも、呼吸より心が、苦しくなった。地割れに落ちたトマトの実を、トマトの幹が助けるお話…。子どもながらに込めた願いは、メガホンの筒に吐き出してしまえない何か大切なものだった。

 ツイッターやフェイスブック…。個人個人の口元に、いつでも「オン」のマイクがある。つぶやきも一瞬で世界に届く。でも、お手軽な拡声と拡散で、あれこれ放出するうち、ふと忘れそうになることがある。

 想いは本来、このからだにひっついた、とても「おもい」もの。 彼女が身一つで演じた啄木は、強く心を打つものだった。

 和太鼓の、打てばドン!と鳴る手軽さは何かに似る。だからこそ忘れずにいたい。想いの重さ、込める心の美しさ。一瞬で届く便利さより、少し時間がかかっても、落ちた一滴が潤す豊かさ。(童話作家)

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