『ゆき描き』道新夕刊コラムNo.30
北海道新聞夕刊みなみ風コラム【立待岬】2022年2月14日掲載
『ゆき描き』 高橋 リサ
雪道は優しさで出来ている。雪掻きはその道を軒から軒へ繋ぐ作業だ。と思うが、私は冬がくるたび本当に恥ずかしくなる。お年寄りも多い一軒家の並ぶ直線道路の真ん中にある拙宅の、そこ一帯だけ雪塊がもそもそ。自分の取りこぼしている大切な何かを雪に暴露されている気がする。
父の雪掻きなら美学だった。スコップを鉋かんなやコテのように操り、足場は大理石のようになるまで掻いた跡を消していく。雪山の凹凸も削りとる。すると、まるで雪御殿。その徹底ぶりを尊敬しつつ、母と苦笑したものだ。
あれは雪掻きというよりも、「雪描き」と言った方が正しいのかもしれなかった。道さえ出来ればいいと私は思ったが、父はそれでは終わらずに、地域に暮らす思いやりや責任のようなものを、雪の鋳型に描き出していたように思える。
今年は、絵本2冊の自費出版を決めた。今その挿絵を制作している。形にして世に残したい場面や情景。それを何とか描きたい・・・没頭する間に日も落ちて、慌てて暗い外に出て、申し訳程度に雪を踏んだり寄せたりする。いずれ春に(それか明日には)溶けて残らぬ雪の姿、そんな雪との対峙を、私はきっと、どこかで後回しにしてしまっている。雪の跡が、そんな心の偏重を、静かに映して諭してくる。
あの父の御殿には届かなくても。せめて御近所と地続きの道を繋ごうと、冬も終盤に決意する。(童話作家)
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