『蟹とたわむれたそのあとに』道新夕刊コラムNo.32
北海道新聞夕刊みなみ風コラム【立待岬】2022年6月20日掲載
「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる」。
この詩を読んだ時、作者はずっと、作品の中の海で泣き続けていると思っていました。
でも、実際は、そうじゃなかったのだな。
若い方々に届けたい、歌が歌われた、そのあとの一歩、自己完成への力強い歩み。
『蟹とたわむれたそのあとに』 高橋 リサ
『東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる』。小さな蟹をつつく指。一人ぽっちの背中が浮かぶ。作者は石川啄木。この短歌は立待岬の墓石にも刻まれ、啄木と聞くとこれを暗唱なさる方も多い。
先週、彼の内面を演じる朗読音楽劇を開いた。十年前から続けていて、今年は重要文化財旧函館区公会堂を会場に。公会堂は1907年の函館大火を機に建つ。その火は函館に転居して4ヶ月だった啄木一家の生活も奪った。その後の転々の末、作家になる決意で上京。小説を盛んに書くも評価を得ず。函館で死にたいと願いながら命の筆を26歳で焼き切った。結核だった。薄幸な運命の中で生まれた短歌は人の心に寄り添う。人の涙が乾かない限り、時代を超えて愛され続けると思う。
けれど実際の素顔の彼は、窮地の時こそアハハと笑え、大火の最中は盆踊りして家族をなだめる程の自己改革力と再生力、明るさの持ち主だった。郷里の岩手には生徒に囲まれ微笑む座像が立つ。
蟹と戯れて泣いたあと、作者はすっくと腰をあげ、その足でスタスタと自己完成に向けて歩き続けていた事を、教科書で啄木を学んだ時の私は考えもせず、彼はそこで泣き続けているかに思っていた。あの時、教室の窓の外でアハハと彼は笑ってくれてたろうか。暗鬱が続く今、若い世代の方々へ届けと願う。歌の続きの啄木の声。涙超えてと誘う声。(童話作家)
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