『ステイ・ホーム』道新夕刊コラムNo.28
北海道新聞夕刊みなみ風コラム【立待岬】2021年10月1日掲載
ホームって、なんだろう。
ステイ・ホームの呼びかけが、やっと解かれようとしている今になって。
「ステイ・ホーム」、その意味がほどけて。もう違う意味にしか、聞こえなくなって。
『ステイ・ホーム』 高橋 リサ
一時、生活を繋ぐために市内の学校で事務補助員をしていた頃がある。その時の事。職員室の給湯所を急いで片付けようとした時、ガチャンと足元で陶器が散った。割れたマグカップ。見ると子どもが描いた似顔絵。たどたどしい文字で書かれた「パパ」。一瞬で罪人になった気がした。これだけは、世界のどこにも代用がない。償えない。
持ち主の先生がやってきた。私は接着して復元を、と申し出るのがやっとだった。ところが先生はおっしゃった。「普通に捨てて構いませんので。もう壊れていいのしか学校に持って来ていませんから」。そのまま別のカップに珈琲を注ぐと、颯爽と仕事に戻って行かれた。壊れていいもの? 処分を託されて、私の方がたじたじになった。指で拾い集めた破片を見つめた。先生の言葉を反芻する。
先生の一言の彼方には、決して壊れない何かがあった。城主たるパパの核心が。その固有の関係に刻まれた、愛情と記憶が。私は触れさせてもらったんだ・・・その隙間から、漏れ出た灯りに。
いつか英語の授業で習ったことが蘇る。「ハウスは建造物としての家。でもホームというのは家庭です。心結ばれた共同体を表します」。何度も聞いた、ステイ・ホーム。家に居ろという指令。でも、ステイにももう一つの訳があった。ある状態であり続ける、その状態を維持すること。ふっと、解かれてゆくその意味。すべての家庭が、ホームであると約束されなくなってしまった時代に。「ステイ・ホーム」。ホームであること。鳴り渡る、永遠の願い。(童話作家)
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