旅立ちと夢
祖父が旅立った。
9月29日の朝。
函館に、婦人合唱を作り
郷土芸能としての和太鼓を提案し
戦後、明るい音楽をと、マリンバ演奏の道を歩んだ。
函館にサーカス団を作ることを夢に見続け
太宰治の文学賞を今年もとれなかった、と落胆したばかりだった。
どれも、祖父から聞いたことではない。
記者の方々が書いてくださった新聞記事や、
親がため息交じりに漏らしたことだった。
すぐ近くにいながら、お会いすることは少なかった。
2012年、函館市長から感謝状を戴いたとき、一緒に撮ったのが最後の写真。
たまたま私は、小学生から和太鼓をはじめ、。
女声合唱との取り組みも、今年9月に本格化した、矢先。
孫の、音や郷土や言葉の活動、新聞で見て、喜んでいたらしい、
というのも看護婦さんから聞いた話を、親からさらに聞いた話。
(孫の片割れである兄は、道化師として忙しく、葬儀にも出れぬこの週末と)
ポストに届く新聞が、
祖父と孫の、唯一で、
十分な、手紙だったかもしれない。
どんなユートピアを、夢見たのだろう。
苦労が多かったことだけはわかる、周りに苦労をかけたのもわかる。
良いとも、悪いとも言えなくて。ただ、伝えられたお別れの言葉、
「おじいちゃん、天国で、最高のサーカス団作ってね」
駅前アーケードを歩くと、その足元を、函館名所のタイルが飾る。
街の光を描く絵にも、情熱を燃やした方でした。
これからも、賑やかな足音を、聞き続けるのだと思う。
天国からの、新聞ください。
こちら地上の新聞も、そちらで読んでくださいね。
これまでと、変わるような、変わらぬような、うまく言えない。
新しい旅、行ってらっしゃいませ。
そしてお役目、本当にご苦労様でございました。
それから、言えませんでしたが、ありがとうございました。
色々相談もしたかったですが、私も兄も頑張ります。楽しんで、見守っていてください。
そして、祖父を支えてくださった皆さまに、心から感謝いたします。
ーー
腹の足しにもならない。
嘘だ、それが
芸術だ、なんて言い草は。
芸術とは、腹一杯
おなじ釜のメシを食うことである。
死者と、席を共にして。
(長田 弘さん『世界は一冊の本』より)
ーー
早逝された奥様(祖母)との、約束だったと語っていた。
「人のためになることをして」、ということ。
ある日、祖父から手渡された新聞に、書いてあったエピソード。
私たちには見えなかった、貧しげだった釜の中。
いつもどれほど満杯だったか。
席を共にする方の、透明な微笑みを、見つめながら。