『聴こえた声』道新みなみ風コラムNo.4
(北海道新聞 夕刊みなみ風 リレーエッセイ「立待岬」2017年10月30日掲載)
『聴こえた声』
この秋、七飯町で始まった和太鼓講座で、講師を務めることになった。ある日、6歳の女の子がお母さんにくっついてやって来た。妖精のように嬉しげに、手で色々な太鼓に触れる。バチで打ってみる。大人に混じって音を出し、一息ついた時だった。その子が言った。「さみしそう」。え、何のことだろう。見つめる先を追うと、打つ人おらず、隅によけていた太鼓が一つぽつんとあった。皆が、自分の打つ音に必死になっていた時に、鳴らない太鼓のさみしさを、その子の耳は聴いたのだった。
その日、講座の後半では、一編の詩を取り上げた。金子みすゞの『鯨法会』。私たちは、実際に太鼓や鈴を鳴らし、声に出して詩を読んだ。作品には、ある漁師町の風景が短い言葉で描かれてゆく。命を獲った鯨達への供養の鐘が寺で鳴る。村の誰もが聞く響き。しかし作者には、聴こえてしまう。死んだ父さま母さま恋しと、沖に居て泣く、子鯨の声が。人里で打たれる鐘の想いは、その子の海まで、本当に届き、哀しみを慰めてくれるのか。みすゞは、行く波を一人見つめる。
誰のために打つのだろう、誰のために書くのだろう。上手にできるその前の、問いに立ち止まる。
創作と和太鼓を教わった師が、いつも語ってくれたことー「心の耳で聴きなさい」。大切なその一言を、講座にやってきた女の子は、語り直してくれていた。(童話作家)