『供養灯ろうのともる町で』道新夕刊コラムNo.9
たった一度でも十分だった。
ほんとうの魂が宿る風景は、胸に刻みつく力を持つ。
大沼湖水まつり。ふるさとのまつりと聞いて、私のまぶたに浮かぶのは、あの祈りの光景です・・。
(北海道新聞 夕刊みなみ風 リレーエッセイ「立待岬」2018年7月2日掲載)
『供養灯ろうのともる町で』
酷い嵐が過ぎた夜、小鳥は不思議な灯りの群れが川面を滑っていくのを見る。迷いつつ、そこへ自分の笹舟を浮かべると、ボツンと空に大輪の菊が燃え・・・。
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数年前に書いたお話『おくり火』。その原風景にあったのは、秀峰駒ケ岳麓の七飯町で毎年開催される大沼湖水まつりだった。家族連れがひしめき、数万人が来場する、このまつりは、慰霊祭だ。
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明治三十九年、地元景雲寺の住職が湖上に灯ろうを流し水難者を供養した事が始まりという。
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今年は七月末の開催。その中で、去年立ち上げた楽隊、和聲アンサンブル・リオが演奏させて頂く事になった。朗読と女声合唱、和楽器で道南郷里の記憶を聴くという活動目的が催しと重なる。演目の一つ「噴火湾ノクターン」は宮沢賢治が綴った鎮魂詩が元で、作品に駒ケ岳も現れる。
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準備の折、楽隊の楽曲創作を担う佐藤三昭先生から、ある誘いがきた。今秋に宮城で「噴火湾」を演奏しないかという。朗読は女優の音無美紀子さん。多くの方を水難で亡くされた地での役目・・遠征を決めた。
百年前の住職の思いがよぎる。 故郷の祭りときいて、何を思い浮かべるだろう。私には、明治から人を慰め続ける静かな灯りの行列が浮かぶ。今の創作や表現活動を導いてくれた風土に気づく。
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実際に火がともる灯ろうを見たのは小学時に一度きり。だがその一度が鮮烈なのだ。魂の宿る風景は、その様な力を、持つのだろう。(童話作家)