『啄木忌』道新夕刊コラムNo.14
4月13日は、石川啄木さんの命日。 「東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」 函館を愛してくださって、ありがとうございます。 故郷にいたくってもいられない時代に、その歌は光ります。
(北海道新聞 夕刊みなみ風 リレーエッセイ「立待岬」2019年4月12日掲載)
『啄木忌』 「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」。
涙は、乾いたろうか。4月13日。函館を愛し函館で死にたいと言った詩人石川啄木の命日。26歳で没後、遺骨は東京から運ばれ立待岬に眠る。
御霊の安寧を祈る方々が毎年地蔵堂に集う一方、借金生活などを嘲笑のネタにしたネット記事やメディア発信も数多く目に入る。せめて墓守はかもりたる函館の私達は大切なものを見定めていたい。故人をキャラクター化する風潮を超えて。
彼を物心両面で支えた親友金田一京助は、著書『石川啄木』に、こう綴った。
「君の非常なる体験は、我々の凡庸を以っては或は到底窺い知る事が 出来ないのかも知れない。それだのに、吾々はどうして殊更に自分の 狭い知見の枠へあて嵌めて故人を小にしよう。偉大なる君自身の存在は、吾々の毀誉によって毛程も増減するものではないのである。どうして又余計な粉飾を施して君を煩わそう。否、吾々の貧弱な体験を以ってしては到底君の全貌を見極めるということが不可能で、吾々には、ただ吾々の共鳴し得たところの余響を感得し得るに過ぎざるものである以上、せめて自己を清澄にしてさだかに君の姿を映そうと願う一念あるのみである」。
3.11の震災以降、啄木日記の原文朗読と音楽による公演『啄木物語』を続けてきた。今年は函館市文学館での開催が決まった。泥の中で発せられた詩歌は私達がどん底にいる時ほど傍そばに寄り添う。故郷にいたくてもいられない時代にその歌は光る。啄木忌に新たに誓う。さだかに君を映そうと。(童話作家)