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『ほしまつりに想う』道新夕刊コラムNo.16

道南たなばた。前月7日、わがやにも、たくさんのこどもたちが来てくれ、用意したお菓子が早々に売り切れました・・。変化しながら続いてきた、ふるさとの風習。いっそう美しい形で、残されていくことを願っています。

(北海道新聞 夕刊みなみ風 リレーエッセイ「立待岬」2019年8月2日掲載)

『ほしまつりに想う』

「七夕は/としに一たひ/あふときく/さりてかへらぬ/人のゆくすえ」。仙台藩祖・伊達政宗公の和歌。星の数ほどの家臣の命が、激しい領地争いに散った。星まつりの日の深い空は、独眼竜の目をも、うるませたのだろうか。

 時は令和の道南七夕。街は今年もあどけない歌声で賑わった。私の頃は、提灯を手に、家の様子をこわごわ覗いて、戸口を開けたものだったが、もう、その必要はなくなったらしい。「笹飾り」は、訪問歓迎の家を意味する、ということで、学校等で指導を統一してくれたためだ。北海道らしい合理性がほほえましい。迎える側も対応し易く、地域にもすっかり浸透した。でも今ここまできたところで、ふと、増してくるさみしさはなんだろう・・。子どもたちのまなこに完成した「笹=お菓子」の図式。でも竹飾りは本来、年に一度のご帰宅を果たす先祖様への目印だった。

 故郷の風習、受け継がれてほしい。ろうそくがお菓子に変わった今のスタイルを生かしつつ、節句の本質も失くさぬ型を、間に合うならば、探したい。 例えば、清らかな身を持つ子ども達は、祖霊の化身の役割を担うにふさわしい。その意味づけをもらった子等が、それを表す簡単なシンボルを身につけて、笹を立てた家々を訪ね、歌うなら、家主はどんなに慰められよう。菓子は祖霊様へのお土産として、レジ袋でなく特別な籠へ集めてゆく。参加児は技芸上達の加護を得る・・。行為自体は同じでも、そんな物語を重ね直していけたなら。きっと、その物語性に基づくルールやマナー、行為に対する敬いも、自然と生まれてくるだろう。

 日本一と謳われる仙台七夕が来週始まる。六年間過ごした土地。魂を弔い豊穣を願う。由緒守る気概は、美であった。愛すべき道南七夕の継承と回帰を祈りつつ、そっと屋内に笹を飾り直す、私の葉月だ。(童話作家)

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