『後輩ケンジへ、 石川啄木拝』道新夕刊コラムNo.17
命日は、ことばが、息を吹きかえす日。
文学館長の一言は、一夜をやさしく包んでくれた。
しんではいない、なくなってはいない。
(北海道新聞 夕刊みなみ風 リレーエッセイ「立待岬」2019年9月30日掲載)
『後輩ケンジへ、 石川啄木拝』
『風がおもてで呼んでゐる(略)おれたちの中のひとりと約束通り結婚しろと』ー。多くの童話、詩、言葉を残した宮沢賢治。病床の耳に聞こえていたのは、愛する自然が呼ぶ声だった。
9月21日は、賢治の命日だった。そして、彼が風と結婚した日。函館市文学館が主催・会場となり、朗読音楽会『後輩ケンジへ、石川啄木拝』が開かれた。啄木も賢治も郷里は岩手。十一年差で盛岡中学校で学んだ。会う事がなかった二人だが、啄木の直筆資料を有する文学館から賢治へ宛てて、音楽と言葉の手紙を捧げようと、生まれたちいさな公演だった。
この夜、開いた作品は、賢治の亡き妹への哀悼詩、愛弟子に送った告別詩、病床に書かれた作品群や、啄木の望郷の短歌。寄り添う音楽は、宮城在住の佐藤三昭氏が織り上げた。さらに宮城からチェロ奏者、函館近郊の詩人、歌い手、和楽器奏者らが集い、作品から吹き出す風や脈動、流れる命を音で描いた。
啄木は自らの詩を「感情生活の厳密なる報告、正直なる日記」であると、賢治は「心象スケッチ」と言った。命日は、それらの言葉が息を吹き返す日なのだろう。声に出すと全て私達生者へのメッセージに変わる、そんな魔法が空間に満ちて、作品案内や演奏を担う身でありながら、涙が伝った。置き手紙を開いたら、自分宛の祈りだった・・そのような時に似た、情動。
「賢治、会場に来てましたよ」。終演後、文学館長が声をかけてくれた。優しい一言だった。函館文学を守る館(やかた)は、文に宿る魂をも、静かに見つめ、守っていた。
(童話作家)