『或るガイドの話から』道新夕刊コラムNo.18
小さかったあのとき・・風物は三人称じゃなくて、わたしそのものだったきがする。いつからか、自分のいる場所に根をおろすのにも、意思と覚悟が必要になってしまっていた。故郷が好きだからこそ、故郷の記憶・歴史を語る方々もきっといらっしゃる。そして、故郷を語る活動を通して、土地との関係を結ぼう・回復させようとしている方々もきっと、いらっしゃる。でも最後には、その土地を知っている人は、この土地の人間である、ということを誇りにできる。たとえ自分には、自信がなくても。
(北海道新聞 夕刊みなみ風 リレーエッセイ「立待岬」2019年11月25日掲載)
『或るガイドの話から』
五稜郭公園を、初めてガイドの方と歩いた。あの瓦は、ここの石は・・まるで壮大な紙芝居。一度見え方が変わるともう、ただの石や瓦には見えないから魔法だ。表面の美醜しか見ていなかった史跡達の、内面に出会えた。
故郷愛を持とう、と簡単には言えない。境遇は一様ではない。白状すれば私にも諸事あるが、だからこそ繋ぎ目を探す。自分でなく、土地の風物を主語にして人に語った時、ほのかな一体感が湧く事がある。この並木は、横津って山は・・。ただそれだけだが、「私」の境目が風物を取り込んで伸び広がって、境界線をくすぐってくれる事がある。
童話は「まなざしの引越し」から生まれてくる。椅子を外側から一方的に書くのでない。その内側に潜りこんで椅子になって世界を見る。すると椅子自身の誕生、夢、悲しみや末路、果てしなさに出会う。物語は物の語り。そこからは人々も見える。それを書く。何かを格好良く表現するのと逆かもしれない。ずっと昔(または童心)、神様と仲がよかった頃、私たちみなが持っていたアニミズム。色々な風物の心と、一つになれた、あの頃。「私」とは、本来もっと広大な何かだったのかもしれない。
冒頭のガイドとは、我が父だ。退職後に赴任地から帰郷。その第二の人生が、娘には意外だった。生まれ育った函館は、苦い記憶も多いと言い、自分史は殆ど語らぬような、その人が、史跡の記憶を語る。
できれば故郷を愛して生きたい–、五稜郭の歴史とともに、語り手自身の物語を聞いた気がした。(童話作家)