『川田龍吉、男爵いもの父』道新夕刊コラムNo.19
(北海道新聞 夕刊みなみ風 リレーエッセイ「立待岬」2020年1月25日掲載)
『川田龍吉、男爵いもの父』
男爵いもの父「川田龍吉」。今、安らかにトラピスト修道院信徒墓地に眠る。土佐郷士に生まれた男だが、北海道の土を愛し、その黒土の一部になる如く、此処を終生の地とした。
その生涯を音楽劇化する活動が始まった五年前。脚本執筆に手を挙げたものの、その「父」は、巨大な鉄の扉に見えた。私の知らない苦労と孤独、喜びを生き抜いた背中があった。
時は明治初頭、工業の先端を極めた英国へ留学。帰国後、造船界を指揮。父親から男爵位を継承する。日露戦時の不況に苦しむ函館ドックの再建を託され来道。55歳で勇退。そこから、農業の近代化に捧ぐ後半生が始まった。その中で、米国から取り寄せた、ある早生いもが生命力に長けた。戦時の食糧難に喘ぐ全国の人々を助け、男爵いもと呼ばれる。「命を繋いだいも」。川田農場では、人々が職と食を得た。感謝・賞賛の声を遠く聞き、95歳、老衰死。
1月26日に七飯で、2月は宮城で「音楽劇Ryo」は上演されることとなった。作曲佐藤三昭氏、主演飯沼由和氏、共に宮城から賛同、参加される。
「芋(いも)」の漢字の字源を見つけた。生え並ぶ草を掘ると、根に肥えた、大きな実。「于」は「ああ」と読み、感嘆を表すのだという。
龍吉は、自然災害後の土地や、土壌に恵まれぬとされた未開墾地での栽培にこそ果敢に挑んだ。人々のああ!は命の絶唱だった。飽食の現代に、聴きたい唱がある。。(童話作家)