『星の数ある物語と』道新夕刊コラムNo.21
6/8道新夕刊みなみ風コラム『立待岬』担当日でございました。一寸先さえ、ともせるかどうか、やっとの言葉です。でも、この言葉さえ、その9割は、お人からいただき、お人からお預かりした言葉であることを、わすれることは、できません。残り1割は、日本語…という祈りの型です。 手を、あわせます。
(北海道新聞 夕刊みなみ風 リレーエッセイ「立待岬」2020年6月8日掲載)
『星の数ある物語と』 高橋 リサ
道外の親しい方からメールが届いた。彼のご友人の最愛の人がCOVID19により、若くして逝去なさったと。「どう言葉をかけるべきでしょう」という問いかけに、返す言葉は、みつからなかった。
昔、叔母に教わった言葉が、法話のごとく心を巡る春だ。ー神様はね、善い子をそばにおきたがる。だから善人から先に連れていくのー。思えば、よく人生を喩え話で語る叔母だった。私が高校生の時に癌で亡くなった。でも、癌じゃない、神様に選ばれたんだと私は信じた。
日本の臨床心理学の祖・河合隼雄氏は言った。なぜ愛する人が世を去ったのかを問う人に、科学が出せる答えは、病名であると。対して、自分の言葉を紡いで”物語る“ということ。それは人間にとって、引き受け難い現実を”腹におさめる“ための手段なのです、と。
冒頭のメールの続きが届く。「夜空を描いた自作詩を贈りました」とあった。また、ご友人のブログが更新され、そこには短い言葉と共に、ある童謡の歌詞が書かれていたそうだった。世界に星の数ほどの物語が存在するのには、優しい理由がある。
思い出した。自分を無価値だと思った時期。ふと大切な方々の顔が心に現れ、独り路上で号泣した。生きようと、あれから思った。ウイルスが生体を必要とするように、心に宿る大切な人を守れるのも生きた私の体だけだ。
一緒に生きてゆく。その美しい幻で、一寸先を、灯しながら。(童話作家)