『滴る水のように』道新夕刊コラムNo.22
8/17道新夕刊みなみ風コラム『立待岬』掲載、有難うございます。
高校の頃の修学旅行。あの年の行き先に入れられた、広島。先生達の願いが焼きついたこの胸で生きている。そして、何かしなきゃ、運動、活動を、と焦る。その心の波が立つたびに、今度は師匠の声が私を抑える。滴る水のように生きよと。
(北海道新聞 夕刊みなみ風 リレーエッセイ「立待岬」2020年8月17日掲載)
『滴る水のように』 高橋 リサ
戦後75年という言葉が並ぶ。30代前半の私は戦争を知らない。でも周りの大人は教えてくれた。記録、映像、音楽、絵本、実体験。冷たい重石になった。
函館東高校(現函館高校)の生徒だった頃、修学旅行の行き先が、広島の原爆ドームだった。前年までは、旅程に無かった。それは当時の教員団の想いだった。現地の記憶も強烈だったが、何より心に焼きついのは「今の君達に見せなくちゃならない」と教室で言った、大好きな担任のその表情ー。あれから、観光旅行の意味が、変わった。浮かれてだけおれなくなった。学ぶべき事物への、トラウマ。
今、”楽しげ”な風景を見ているのにもかかわらず、涙あふれてとまらない時がある。数年前、可愛いデザインの戦車マスコットが流行り、コンビニに愛嬌たっぷり並んでいるのを見た時。または最近ネット上で見かけた、コスプレを楽しむ若者たちの姿。軍用車に乗って笑顔でポーズする写真、それは知人だった。
もらった重石がきしむ。私には買えない、できない、それだけかもしれない。でも、訳がわからず悔し泣く。先生、私どうしたらいい!
20代前半、運動や活動に携わるべきではと焦った時期があった。その時、創作の師が私に言った。「滴る水のように生きよ。あなたの表現活動を続けた先に、あなたの役割はあるから」。十年たった。その一滴には、なれますか。(童話作家)