『村の太陽になる』道新夕刊コラムNo.23
北海道新聞夕刊みなみ風コラム<立待岬>10月23日掲載
誰かを照らすために、励ますために、こどもたちが、じぶんの生きている時間をつかおうとした。音楽を選んだ。太鼓を選んだ。その響きが今も、引き継がれて。 震災十年を前に、岩手の三陸から、七飯にこようとしている。困難はあるが。このまま、叶うように。
(北海道新聞 夕刊みなみ風 リレーエッセイ「立待岬」2020年10月23日掲載)
『村の太陽になる』 高橋 リサ
「3年生を修学旅行にいかせたい。いき先は函館と七飯に」。電話をいただいた時の、手の震えを思い出す。それは、岩手県にある野田中学校からの連絡だった。野田村で唯一のその中学校は、太陽をそだてている学校である。
2013年のNHK朝ドラ『あまちゃん』の舞台、久慈市のとなり。東日本大震災後の野田村は「まるで焼け野原」と紙面に伝えられる。三陸の美しい海がふるさとを襲った。学校のグランドは仮設住宅で埋まる。当時の生徒たちは必死に考えた。「おとなを元気づける。自分たちが、野田村の太陽になる」。廃タイヤにテープを張り、復興輪太鼓の活動が始動。演目創作と指導を宮城在住の我が師が引き受け、縁が生まれる。私は数年前から師に伴い、年三回、野田村を訪れるようになった。
学校の先生方は、和太鼓を言語活動と呼ぶ。演目は、群読で始まる。「生きろ」。その言葉に、涙があふれる。そこに宿るもの。覚悟した人間からでなければ生まれない表現がある。指導者が泣いても、彼らは泣かない。その目はまっすぐ、どうしたらもっと伝わるのか、と問いかける。
前3年生は、阪神淡路大震災の中心地だった兵庫県西宮市で公演した。県外に届けつづけたい思い。演奏を兼ねた、この旅にたくして。 三陸の荒海を父とする彼らは、この十年をたくましく生き、ふるさとを伝えにくる。太陽の子としてくる。来月17日、七飯町文化センター。多くの方に、届いてほしい。(童話作家)